夏衣

ある茶事でご一緒したパリ在住の若い女性から、その茶事でわたしが着ていた夏衣がすてきだったという手紙をいただいた。同席の御礼の最後のさりげない一言だったけれど、わたしにはその「すてき」の文字だけがスポットライトを当てられているように目に焼き付いた。着物を褒められるなんて初めてのことだったから。それは、見たとたん気に入って誂えた紫がかったグレイの絹のうすものに古代紫の絽の帯の組み合わせたものだった。
茶や香といったお稽古ごとをしていると、どうしても着物を着る機会が増えてくる。逆に言えば、着物を着るためにお稽古ごとを始めたともいえる。昨年あたりから少しずつ着物の枚数もふえてきた。着物を着る愉しみ、といってもそれは季節がうつろうなかで着る人の嗜みが試される場面でもあるのだ。まず季節に合わせた着物の素材、色、柄を選び、それにふさわしい帯を合わせる。帯揚げ、帯締め、帯留などの小物をコーディネートするのはなかなか骨が折れる仕事だ。それも限られた自分の持ち物のなかから探すのであるから・・。自分なりにうまくまとまったなと思える時のうれしさは格別である。最後の仕上げに帯をポンとたたいてでかけるとき、胸が自然と反り思わずどうだいという気分になる。女ならではの醍醐味だと思う。
夏衣の美しさは、なんといってもその透け感と下に映る色とが醸し出す陰翳にある。下着の白がうすものの着物に透けて見えるさま、ふとしたしぐさに袖が光を伴って揺れるさまはまさに「あてなるかな」である。高温多湿の日本では古来より涼しさの演出といったものがいろいろ工夫されてきた。実感の暑さはもうなんとも防ぎようがないわけだから、目から涼しさをとりいれようという魂胆はなかなかこころにくい。夏衣を凛と着るということは、その姿を見る人々に目から涼感を伝えるということになるのだろう。
といっても今年のような酷暑に着物を着るということは、Tシャツに短パンでいるよりははるかに暑苦しく、忍耐のいる大仕事である。それでも涼やかさを少しでも伝えようという心意気で、女たちは盛夏に着物を着ているのだ。まだまだ修行の足りないわたしは、先日の茶事でも、冷房の効いた立礼席でいただいた懐石まではよかったのだが、中立ち後に茶室に入ったとたん汗がふきだし、袖先などは水に浸かったように濡れてきた。正座をしていても肌を滑り落ちる汗が感じられて落ち着かないことこの上なし。ふとお隣の相客様をうかがうと、横顔に伝う玉の汗がいくすじも・・・。夏の茶事はかくも過酷なりやと実感したひとときではあった。

カフェの珈琲はネルドリップです。片面ネルの布を買い求めて、手作りしています。オーナーは珈琲を淹れる時は、とりわけ完璧主義で、豆は言うに及ばず小物に至るまで自分の理想をあくまでも追求するのです。はじめは生なり色だったネルが珈琲色に濃く染まって戻ってくると、それはネルの変え時。長く使いすぎると目詰まりして珈琲の味が悪くなります。さまざまなところでのちょっとした気配りが、カフェの珈琲をおいしくしているような気がします。

Lillian

One Response to “夏衣”

  • marianne |

    「パリ在住の若い女性」……“若い”の文字だけスポットライトが当たっているかのように、拝読いたしました。その節は楽しいひとときをご一緒させていただきまして、ありがとうございました。
    今日はお稽古が千駄木でありまして、「さくら」の主演男優の方にもお目にかかったところです。9日にパリへ発ちます。またのお目もじ、楽しみにしております。

Additional comments powered by BackType