人生の扉

白蓮しばらく前になるが、アマチュアの音楽グループ「ローガンズ」の演奏が、北鎌倉/東慶寺の白蓮舎で行われた。「ローガンズ」とはなんのことはない老眼からきているらしいが、みな熟年世代で慶応時代からのお仲間らしい。フォークソングやカントリーソング、日本のポップスまでを、2時間にわたって熱唱してくれた。どの曲もわたしにはなつかしく、その曲を聴いていた時代にタイムスリップして、若かったあの頃の自分を思いだしたりして・・・。楽しかったこと、裏切られて悔し泣きした日のことなど、涙がにじむ寸前くらいのセンチメンタルな気持ちになった。
人生は「なりたい自分」と「なりたくてももなれない自分」とのギャップの間にあるのだと思う。物心ついたときからみなああしたい、こうしたい、こうなりたいと切に願いながら、でも思うようにいかない自分と戦っている。10代は10代なりに、20代は20代なりになりたい自分はいつもはるか遠くにあった。「ローガンズ」の演奏で竹内まりあの「人生の扉」という歌を久しぶりに聞いたら、
        
         信じられない速さで時は過ぎ去ると知ってしまったら
         どんな小さな事も覚えていたいと心が言ったよ

というフレーズがでてきて、なりたい自分になれないままはるか遠くまで人生の海を漕ぎ出してしまった自分を思い、日々を安易に生きている自分が叱られた気がした。どう生きればいい生き方なのかは誰にも答えられないのだけれど。
いまのわたしの「なりたい自分」のお手本は、井上荒野さんの小説のなかにあった。井上さんは、作家の井上光晴さんのお嬢さんだ。井上さんのものごとを見るときの距離感が好きだ。近すぎもせず、遠すぎもせずといった距離感。井上さんが昨年だした本に『静子の日常』というのがあるが、その主人公静子さんが、わたしが「これからなりたい自分」のお手本である。
静子さんはどんな女性か。静子さんはご主人を亡くして、息子夫婦と暮らしている。息子夫婦には高校生の娘がいる。そんな日常のなかで、静子さんはスポーツクラブに通い、家では淡々と息子夫婦と生活している。静子さんのすごいところはここから。自分が日々のなかで触れ合う人々をそれとは知らせずに助けるのだ。スポーツクラブで不倫をしていると噂されているお仲間を助けたり、孫娘の恋を応援したり、出会い系サイトの女とデートしている息子を改心させたりと大活躍。でも当事者たちはそのことに静子さんが関与しているなんてちっとも知らない。静子さんはいつも澄まし顔で我関せずといった風情だからだ。静子さんには誰も知らない秘密もある。夫の女に泣かされてきた静子さんにも、いま老人ホームに入っている好きな人がいた。やがてその人は亡くなるのだが、ある日一張羅の着物を着て会いに行く。
これからどんな人生になるのかはわからない。でも、これまでさまざまな人に助けられて生きてきたお返しを多少なりともしたいと思っている。それも大げさではなく、静子さんのようにさりげなくだ。さてわたしの人生にはあと何枚の扉が待ち受けているのだろうか。

百日紅長く生きていると言えば、カフェの庭には樹齢100年ともいわれる立派な百日紅(さるすべり)があります。夏の日差しの中、青空にひときわ映えるパープルピンクの花がいま満開です。木に咲く夏の花はあまりないので、満開の百日紅は庭を睥睨する女王様のようでもあります。庭の百日紅は老齢化のため一時は危篤状態に陥り、長野から樹医さんを呼んできて一命をとりとめました。幹は外目には立派ですが、中は空洞化が進んでいて痛々しい限りです。一生懸命花を咲かせている百日紅を見ていると、思わずすり寄って幹をなでたくなります。
      

Lillian

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