梅は鎌倉

カフェの庭ではいま梅が真っ盛りカフェの庭ではいま梅が真っ盛り。馥郁たる匂いとともに白い花を咲かせています。明治以来の古い梅の木で、毎年冬枯れの庭にいちばんに可憐な姿をみせてくれます。最初はひとつ、またふたつみつと咲いていくさまはなんとも奥ゆかしく、恥じらいながら咲いているようにも感じられます。
花といえば梅かさくらかという議論があります。和歌に詠まれた「花」とは果たして梅なのかさくらなのか。奈良時代以前は花といえば梅だったとか。奈良時代中国から薬木として渡来した梅は、以来花を愛でるばかりではなく、平安時代には「烏梅(梅の実を煙で黒くいぶしたもの)」が解毒や下痢止めとして用いられたり、おなじみの「梅干し」は江戸時代から食べられ始め、現在に至っています。白米に梅干しのおむすびは永遠にわたしたち日本人の定番ですよね。
大正10年から昭和48年の没年まで、50年以上にわたって鎌倉に暮らした作家、大仏次郎に『梅だより』というエッセイがあります。
・・・・梅の季節が来て、東京に出る時など、電車の窓から谷戸の人家の間、山蔭に白く花が群がるのを見守って楽しむ・・・・と書いているように、日本の各地にある梅林のような群生した木にこれでもかと咲く花を愛でる趣とは違う梅の楽しみ方が鎌倉の風土にはあるような気がします。かくいうわたしは鎌倉歴若干3年の新参者ではありますが、毎日歩く小道に沿った家々に必ず梅の木があり、それが紅梅だろうが白梅だろうが一斉に花をつけているさまを見るのはこの季節の楽しみでもあります。鎌倉の梅の名所をあげるなら、瑞泉寺、東慶寺、光則寺、覚園寺などの寺々がその名を競っていますが、わたしには市井の家々に咲く梅の花がいちばん。とりわけカフェ・ビーの庭に咲く梅の花が、その木の姿といい、花の風格といい、鎌倉一ではないかと秘かに思っています。
では最後にわたしの大好きな香のはなし。志野流香道の組香に、春の組香として「梅花香」というのがあります。古今和歌集、柿本人麻呂の歌二句を出典とした香遊びです。その歌とは

  梅の花それとも見えず久方の
                あまぎる雪のなべてふれれば

  月夜にはそれとも見えず梅花
                香をたずねてぞしるべかりける

の二句です。いずれもは梅の花の美しさを一句目は雪とみまごうほどといい、二句目は月の光の白さとみまごうので見分けのつかない梅の花のありかをその香りで知るというもの。そういうわけでこの組香の醍醐味は、雪にみたてた香りと梅の花にみたてた香りを聞き分けるということになります。三回とも正しく聞き当てれば「梅の花」、一回でも違えば「それともみえず」というお点になるという次第。なんとも、季節を生活や遊びにもちこむ技にかけては日本人の右にでる民族はいないのでは・・・・・・。

Lillian

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